自分の次の就職活動で忙しくて、今月はなかなかブログの更新が出来ていませんね・・・。

この前は、特に北海道旧土人保護法の存廃論争に注目して、「戦後民主主義のなかのアイヌ」というテーマについて考えてみました。なぜそこに「存続派」と「廃止派」という図式が出来上がったのでしょうか。それは、ある意味、「存続派」と「廃止派」という図式でこの問題を考えさせられてきたこと自体に強いられた歴史の結果だったかもしれません。つまり、その図式は、同じ戦後民主主義という課題が、それまでのアイヌの近代史が引き起こした歴史の結果と直面したときによって現われざるを得なかったということです。

しかし、それは同時に戦後に限定した図式ではありませんでした。一方では、憲法上の国民の「平等」を謳い、自分たちの「自由」な活動を損害しているものとして、北海道旧土人保護法の廃止を求めた「廃止派」です。他方では、経済格差を真剣に眺めて、それを埋めるような新たな対策の軸として同法の使用を訴え、またはそれをこれまでの歴史に対する当然の賠償として見るとかいう、経済的「平等」を求める「存続派」です。「自由」対「平等」というこの図式は、まさに近代以降のアイヌの状況とセットしていますね。開拓市場における自由と、アイヌのそれへの参加形式の補足条件のようなものとして機能していた差別と差異化、またはそれに対抗する「平等」への訴えという図式と同じものです。それが戦後社会においても、農地改革という新たな大きな脱領土化の過程によってまたも反復されたわけです。

先々週は、アイヌからいったん離れて、アメリカの「パッシング」と言われる現象を取り上げました。それがたとえば、現在に〈アイヌ〉としてあることと、いかなる類似性を持っているのかについて考えようとしました。ニューヨークタイムス紙の文芸評論家だったアナトール・ブロヤードの有名なケースを取り上げました。ブロヤードの人生についての詳細はウィキペディアでも読めますし、実は、小説家のノーマン・メイラーと、著作『去勢された女性』で有名な作家のジャーメイン・グリアの1979年にニューヨークで行われた対決をドキュメンタリー化したものの「Town Bloody Hall」の最後にも、彼は登場しています。動画の5.00頃に登場です。

まあ、それは余談の余談ですが、ブロヤードはルイジアナ州のクレオールの家庭生まれで、自分が「黒人である」ことを「公にしなかった」というよりは、世間と接しているうちに、その「事実」と非常にアンビバレントな形で折り合っていたと言った方がより正しいでしょう。あるときは「白人」として「パス」しました。あるいは、単に何も言いませんでした。また、あるときは自分のルーツのことを人に伝えて過ごしました。そのアンビバレントな領域をより詳しくみなさんに紹介するために、授業ではブロヤードのことを取り上げているアメリカの文芸批評家、ヘンリー・ルイス・ゲーツJr.のエッセイ「The Passing of Anatole Broyard」の一部を日本語訳してみました。その訳の全文を一応、ここにも再録しておきます。

パッシングは真正さ(authenticity)に対する罪である。そして「真正さ」とは、近代の基礎的な偽りのひとつである。哲学者のチャールズ・テイラーは、この「真正さ」のイデオロギーを次のように要約する。

『人間として存在するうえで、私自身のものである仕方というものが存在するのである。私は自らの人生を、他人の人生の模倣によってではなく、こういう仕方で生きることを求められるのである。しかしこの観念は、自らに忠実であることに新しい重要性を与える。すなわち、もし私が自らに忠実でないならば、私は、自らの人生の核心を逸することになるのである。人間であるということが、私に対して意味するものを、私は逸することになる。』

人々の真正さに対するロマン主義的な誤信が集団化されるとき、それは固定的なものになる。そのとき、想定上の「本当の私」は「本当の私たち」となる。アナトール・ブロヤードは、たとえどのような法的規定によっても、「本当は」彼はニグロだったということが言える。しかし、それは、人は「ニグロ」として在りうるということを容認するということにはならない。人種的アイデンティティの予測つかない曖昧さは、人類学者の言う「ハイポデセント(hypodescent)の原則」(子供の血統を決定するルール)、すなわち「ワン・ドロップ・ルール」(血の一滴原則)によって増殖させられた。混合された家系の出身者-そして黒人の大半がそうなのだが-が白人のマジョリティに消え去っていくなかで、これまでは、彼らは自らの「黒人性」から逃亡しているのだというふうに告発されてきた。しかし、その反対、そのオルターナティヴの選択肢は、なぜ「白人性」からの逃亡と言われないのだろうか。実のところ、このような倒錯を強調するということは、さらに大きな倒錯からわたしたちの目を奪っているのである。人種というのは、その境界線の条件を改善し、純化することによって「正しく理解」することはできない。

たとえば、自らのアイデンティティ画定の貢献者によるその貢献を切り捨てるという行為は、非現実的かもしれないが、それは不合理なことではない。間違っているのは、近代の官僚制国家によって生産されてきた出生証明書やその他の自伝的な素描やそのあらゆる書類が、一人の独立した、実際に存在しているアイデンティティの証拠であるというふうに感じ取ることの方である。それは決して証拠ではなく、それらの書類は、そうしたアイデンティティを構成するものなのである。人種の社会的な意味あいは、こうしたアイデンティティ書類によって確立され、そうしたアイデンティティに関する多くの小論文や専門書、証明書やパンフレットや、人種というものが現実だと宣告するその他の口頭的な加工物のすべてによって確立されるのである。そして人種というものが現実だと宣告することによって、人種は現実的なものとなるのである。

ここには、「黒人作家」ではなく、「作家」として在りたかった人間の肖像がある。そのためにブロヤードは、白人としてパスした。この「黒人作家」と「作家」との分割は、きわめて愚鈍なものである。しかし、その愚鈍さは、彼の愚鈍さではない。彼の知覚は正当であった。それとして自分が在りたくなくても、彼は「ニグロ作家」になっていただろう。彼の条件で言えば、彼は黒人の愛、黒人の情熱、黒人の苦渋、黒人の喜びについて書きたくなかった。彼は、愛と情熱と苦渋と喜びについて書きたかったのだ。わたしたちは「単に偶然とも黒人として生まれた作家」というアイディアによくリップサービスをする。しかし、この戦後には、そのようなものをいったい誰が本当に見たと言えるのだろうか。

ブロイヤードの親友の人類学者で文化理論家であるリチャード・A・シュエイダー氏は、「彼は現実というものがスタイルによって構築されていると信じていたのではないか」と言い、「スタイルと現実との間の親密な関係性に対する非常に深い、ロマンチックな考え方」をブロイヤードに見て取っている。ブロイヤードが白人としてパスしたのは、彼は人種が重要じゃないと思っていたためではない。その逆である。人種の根強い社会的な事実は理性を超えていた。その根強さもスタイルを犠牲にしていた。アナトール・ブロイヤードは、人種というものが消すことのできない永続性の象徴となった時代に暮らしていた。ある黒人の民話的な諺が述べているように、「私がやらなければならないことはただ二つ。黒人として在りつづけることと死ぬことだ」。

ブロイヤードは、言ってみれば、閾(the liminal)の目利き士だった。境界線を越えること、横断することの目利き士だったのである。しかし、近代のイデオロギーには、あるどんてんがえしが潜んでいる。出口を許さない意外の結末が待っている。そのため、人種的な否定というのは、哀れな希望である。白人性が規準となっているシステムでは、人種を持たないことは不可能である。そこに参加しないことは選択できない。参加することを選ぶしかない。もはや忘れられてきたある黒人の作家に対する厳しい批判的な批評文においてブロイヤードは、「ホワイティーは、自分たちが黒人であるということを決して忘れさせてはくれない」という多くの黒人作家たちが思っている仮定を再考するときが来た、と宣告した。だが、そのとき、彼はそこで運だめしはしなかった。いつの間にか彼は、彼がやらなければならない二つのことは、「白人で在りつづけることと死ぬこと」だと決めたのである。」 

【仮訳】(ウィンチェスター)208-209頁。“The Passing of Anatole Broyard”, Henry Louis Gates Jr. Thirteen Ways of Looking at a Black Man, Vintage Books, 1997.

たとえば、「アイヌの彫刻家」ではなく、「彫刻家」として認められたいというような願望を考えるだけでも、この文章が持つアイヌの状況との関連性はいろいろ指摘できると思います。ただ、私がいつもこれを読んで思うのは、それとは少し違うことです。まず、これはアメリカで言う人種という文脈での話しですが、ここでは民族、あるいは単に近代による差異化でもいいのです。そのどんてんがいしという力学に関する点でゲーツの解釈は正しいでしょう。しかし、正しいとしても、もしここに「否定」の過程がなかったら?ということを私は考えてしまいます。そのような場合はどうなるのでしょうか。ブロヤードのように「人種は重要だ」と知覚していながら、それを(あるときのブロヤードと違って)否定せずに、単に「公にしない」というだけならば、どうなるのでしょうか。

実は、私はここに講義の第1回に取り上げた佐々木昌雄の「形容句のない私から始まらねばならなかったはずの私」という文句に近いものを感じます。佐々木も自分は〈アイヌ〉であるということを一回も否定していません。「形容句」があるということを一回も否定しないのです。ただし、そこに「形容句のない私」という「私」への認識が、同じ「形容句」が付与されている結果だからこそ、不可能な可能性にしても、浮び上がるのです。「新アイヌ政策の夜明け」の最後にも書きましたが、このギャップ(あるいは「閾」でもいいのですが)にこそ、過去から受け渡された状況の下で〈アイヌ〉としてある者が初めて自分自身の歴史を創ることのできる領域の発見があるのではないか、という気がします。ゲーツがブロヤードに見て取るロマンチシズム、または単なるアイデンティティの話とは違うことになります。

たがしかし、この領域は、「(かくある)アイヌ民族の(当然にあるかのように言われている)誇りが(誰かによって)尊重される社会の実現を(誰かに訴えかけている)」現在という「本当の私たち」同士の世界ではずいぶん縮小されてきてしまったように思えて仕方がないのです。

まあ、長くなりましたので、これで終わります。

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